今回紹介するのは『たった一人の熱狂 (幻冬舎文庫) [ 見城徹 ]』です。
僕が著者である見城さんを知ったのはサイバーエージェントの藤田さんが紹介していたからです。
調べてみるとあの幻冬舎の社長!
幻冬舎の本は面白いものが多く、よく読んでいたので覚えています。
※僕が読んだのは文庫版ではないため、ページ数に違いがあることをご了承ください。

僕が本書を読んで実践していること、意識していることを4つ取り上げました。詳しく見ていきましょう!
自分には何ができるか悩みぬけ
自分には何ができるのか。転職とは何なのか。今いる場所で悩みぬき、圧倒的努力をして欲しい。(P43)
著者はかつて、編集者ではなく、作家を志したことがあるそうです。
でも、本物の作家に出会って、自分には内にうごめく活火山のようなエネルギーが無いことに気づき、編集者の道を選びました。
僕は幸いなことにエンジニアの道しか経験したことがありませんし、それ以外の職につきたいと思ったことがありません。
ただ、エンジニアの道を頑張っているうちに、この道をさらに発展させるために必要なことには手を出しています。
ブログを書いているのも、イラストを描いているのもその1つです。
筆者は言います。
文学界に金字塔を残して死んでいった中上健次をはじめとする作家たちもまた、木と同じく苦しんでいた。
君が心底苦しんでいるのだとすれば、今の君は彼ら作家と同じ地平に達、人生と本気で向き合っている証拠なのだ。(P43)
誰でも余裕綽々で人生を歩んでいるわけではありません。
Youtuberで有名なヒカキンさんだって圧倒的な努力をしてきたからこそ、今があるのです。
苦難の壁にぶち当たった時、どのような対応をするかで一流になるか、そうでないかが分かれるのではないでしょうか。
己の名を上げろ
自分の感覚や感動の源泉を信じ、たった一人でも自分が信じた道を行く。
人の100倍も不安に怯え、困難に耐えながら、苦痛を糧として仕事をする。
それが僕の言う「たった一人の孤独な熱狂」だ。(P71)
僕がこの一文を読んで思い浮かべたのが、「僕のヒーローアカデミア」のオールマイトとステインです。
オールマイトは人々には「平和の象徴」が必要だという信念を抱いていました。
ステインは「ヒーローとは見返りを求めてはならない。自己犠牲の果てに得うる称号でなければならない。」という信念を抱いていました。
オールマイトは正義の味方で、ステインは悪役です。
どちらも最初は「たった一人で」自分が信じた道を進んできました。
ですが、それがあるとき、多くの人に伝播しました。
この瞬間、二人はまさしく「己の名を」上げたのです!
己の名を上げる人というのは、「たった一人の孤独な熱狂」から始まるのかもしれません。
君は職場で目立つ人を見て「あいつはいいな」とうらやましく思うかもしれない。
だが、そういう人は誰にも見えないところで魔物のような不安に夜な夜なうなされ、自傷行為のように身を削る努力をしているものだ。(P73)
一見華やかだけど、裏ではものすごい努力をしている人。
例えるならば、橋本環奈がヒロイン役で実写化された「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」の主人公、白銀御行でしょうか。
彼は秀知院学園というかつては貴族や士族を教育する機関として設立された由緒正しい学校の生徒会長です。
ですが、その裏では実家が貧乏でアルバイト三昧、勉強も秀才型でプロフィールには努力中毒と書かれてるほどに…
それだけの努力をして学年主席になったからこそ、胸を張って生徒会長をやることもできるのでしょう。
普通の一般人だったら、そんな有名校の生徒会長なんて自信がなくて出来ませんよ。
その人の自信の裏にあるものをよく見ようとしないからこそ、ただただ羨ましく思ってしまうのだと思います。
結果が出たらゼロに戻せ
圧倒的努力で得た結果も、一度ゼロに戻す。
ゼロの地平から原石を探さなければ、次なる成長軌道は描けないのだ。(P106)
僕にはウォルト・ディズニーの好きな言葉があります。
ディズニーランドは永遠に完成しない。
この世界に想像力が残っている限り、成長し続ける。
「まあいいか」という言葉は、絶対に呟きたくない。(P109)
夢の国のミッキーは常に全力です。
「まぁいいか」っといってサボっているミッキーは想像できませんよね。
そんなミッキーがいたら夢の国が台無しですし…
それに比べて、僕はよく「まぁいいか」という言葉を使ってしまいます。
筋トレを予定していたのに、時間も遅くなったし、明日もあるから、今日は「まぁいいか」。
このような経験はよくあるのではないでしょうか。
「まぁいいか」という言葉はつまり停滞を選んでいるわけです。
人は何もしなくても1日歳をとります。
昨日と同じ1日を過ごすということは、停滞ではなく、実際には歳をとった分だけ後退しているとも考えられます。
1日前進した人、1日後退した人。
1週間たつと倍の2週間もの差がつくことになります。
後退して待っているのはあの時、こうしていれば良かったという後悔です。
ちょっとラップっぽくなりましたね。
ディズニーランドに永遠がないように、人にも永遠はなく、後悔しないためには、成長あるのみです。
野心なんか豚に食われろ
野心という言葉は薄っぺらくて嫌いだ。
すべては自分との闘いである。
僕は現実に七転八倒しながら、匍匐前進する。(P150)
これはどういうことだろうか?
まずは野心の意味から認識あわせしていこう。
分を越える(ように見える)大きな望み・たくらみ
これと似たような言葉に信念があります。
それが正しいと堅く信じ込んでいる心
この2つの違いが何か分かりますか?
僕が考えるに野心の方は周りに対して大言壮語なことを言う見栄のこと。
対して信念は何があろうとも自分を信じで前を進むという覚悟のこと。
こうして比較してみると、たしかに野心と言う言葉は薄っぺらく、口だけのように感じられます。
他人には想像もつかないような圧倒的努力を積み重ねて初めて、結果は後から付いてくる。
薄っぺらな野心や野望如きで這い上がれるほど、現実は甘くはない。
「頑張れば夢はかなう」などと言っている時点で、すでにその人は戦わずして戦いに敗れている。(P153)
「頑張れば夢はかなう」の後ろにはきっと、かなうと(いいな)という言葉が隠れているのでしょう。
圧倒的努力をして、必ず夢をつかみ取るという意味合いは感じ取れませんよね。
「現実に七転八倒しながら、匍匐前進する」という言葉の中には作者が伝えたいことがすべて詰まっているのだと思います。
書評まとめ『たった一人の熱狂』見城徹
『たった一人の熱狂』いかがでしたでしょうか?
アニメでもドラマでも、順風満帆な主人公などいません。
必ず、主人公の行く先を立ちふさがる壁が現れます。
ストーリー構成上、その方が盛り上がるからと言う理由を言ってしまえばそれまでですが、実は物語の中だけではなく、現実世界でも同じなのではないでしょうか。
順風満帆なように見える人でもいくつもの壁を乗り越えて今があるのだと思います。
苦難という壁を乗り越えられるのはそれに熱狂しているから。
七転八倒しても、匍匐前進で進んでいくのです。